
福島から伊勢まで、一匹で歩いた。
2ヶ月かかった。帰ってきたとき、頭陀袋の中には内宮のお札と、道中でもらった食べ物の代金を記した帳面と、路銀の残りが入っていた。
お金をごまかした人は、一人もいなかった。
江戸時代の寛政年間、福島県須賀川に実在した純白の秋田犬「シロ」の話です。
これは伝説ではなく、記録に残った実話です。
シロが旅に出るまで
福島県須賀川(当時の白河藩)で代々庄屋を務める旧家・市原家。
8代当主の市原貞右衛門綱稠(つなしげ)氏は、毎年春の神楽祭に伊勢神宮内宮へ参拝するのを欠かさない、信仰心の篤い人物でした。
市原家で飼われていたシロは純白の秋田犬で、人間の言葉を理解し、主人のお使いや届け物をこなす、村でも評判の利口な犬でした。
買い物に行ったり、手紙を届けて返事をもらってきたり。犬の仕事としては、もうとっくにキャパを超えていたわけですが、それが当たり前のような存在だったのです。
ある年、その綱稠氏が病気で倒れました。
毎年の恒例だった伊勢参りに行けない。
さて、どうしたものか、と家族で相談した結果、出た答えが「シロに行かせよう」でした。
頭陀袋の中に、道中の路銀と道順を記した帳面、そして「人の言葉が分かるので道順を教えてやってください。
シロを助けてやってください」という書状を入れ、シロの首から下げて出立させました。
市原家の人々は須賀川宿のはずれまでシロを見送り、朝晩神棚に灯明をあげて無事を祈っていたと伝わっています。
シロの旅路・2ヶ月88宿の記録

シロが歩いたルートは記録に残っています。
奥州街道(現在の国道4号線)を南下して江戸に入り、東海道を西へ。
四日市を経由して伊勢神宮へ向かいました。須賀川から日本橋まで37宿、日本橋から四日市まで43宿、四日市から山田(伊勢)まで8宿。
シロは1日3宿のペースで往復したことになります。
距離にして片道およそ500km。徒歩で。しかも一匹で。
今の感覚で言えば、須賀川から伊勢まで車で4〜5時間の道のりです。
それを1日3宿ずつ歩いたわけです。
街道を行き交う旅人の流れに乗りながら、シロはどんな気持ちで歩いていたのでしょうか。
道中、街道沿いの人たちはシロを気遣い、水や餌を与えて軒先で休ませてくれました。
路銀の小銭が増えて袋が重くなると、銀貨に両替してくれる人もいました。
奉行がわざわざ次の宿場宛の申し送り状をシロの首につけてくれたというエピソードまで残っています。
また、白い毛の動物は神の化身であり人に近いという俗信があったことも、シロを追い剥ぎなどから守ったようです。
純白の秋田犬が街道を一匹で歩いていたら、確かに「ただの犬」とは思えなかったでしょう。
伊勢神宮に到着、そして帰還
2ヶ月後の夕方、シロは須賀川に戻ってきました。
頭陀袋の中には、皇太神宮(内宮)のお札と、奉納金の受領書、食べ物の代金を記した帳面、そして路銀の残りが入っていました。
お金をごまかした人は、一人もいなかったそうです。
この一文に、当時の街道の空気が詰まっているような気がします。
見知らぬ犬を泊め、食事を与え、代金を正直に帳面に記す。そういう人たちがリレーのようにシロをつないで、伊勢まで届けた。
シロは忠犬として町中の大評判になり、参宮犬として称えられました。
綱稠氏も、さぞ喜んだことでしょうね。
シロの最期と、今も残る犬塚
帰還から3年後、シロは病気で亡くなりました。
綱稠氏はシロの石像をつくり、市原家の菩提寺である十念寺の墓地に葬りました。
石像には背中にお札を背負った姿が刻まれています。
犬塚に刻まれた碑文には、昭和44年に市原家14代目当主が記したこんな言葉が残っています。
「寛政の昔 市原貞右衛門綱稠の飼犬が主人の命を受け道中多くの人々の善意に守られながら伊勢参りをなしお札を背負って無事帰宅す 綱稠大いにこれを労い 死後その姿を石に刻みここ十念寺に葬る ……愛犬白の霊等やすらかなれ」
現在も十念寺には多くの人がシロの犬塚を参りにやってきます。
中には三重県から来る人もいるといいます。伊勢からシロのお墓を訪ねる人がいる。
なんだかその話も、おかげさまの繋がりのような気がします。
十念寺は浄土宗の古刹で、境内には松尾芭蕉の句碑、女流歌人・市原多代女の句碑、そして東京オリンピック銅メダリスト・円谷幸吉さんの墓所もあります。
須賀川を訪れる機会があれば、シロの犬塚にも手を合わせてみてください。
シロだけじゃなかった・もう一匹の名犬「おさん」
記録に残るおかげ犬はシロだけではありません。
徳島県の呉服屋に飼われていた「おさん」という犬も、伊勢神宮への代参を果たしたことが三重県総合博物館に展示される「御陰参宮文政神異記」に記されています。
四国と本州が陸続きでなかった江戸時代に、海を渡って伊勢を目指したことになります。
シロが秋田犬だったのに対し、おさんは紀州犬だったとされています。
今もおかげ横丁で売られているおかげ犬のグッズに白い犬が多いのは、この2匹の記録が影響していると言われています。
浮世絵に残るおかげ犬の姿
おかげ犬が単なる伝聞ではなく、当時の人々に広く知られた存在だったことを示すのが、歌川広重の浮世絵です。
「伊勢参宮 宮川の渡し」や「東海道五十三次 四日市」にも、おかげ犬の姿が描かれています。
浮世絵に登場するほど、当時の人々の日常に溶け込んでいた存在だったわけです。
「東海道五十三次 四日市」は、歌川広重(1797〜1858年没)の作品でパブリックドメインです。
街道を歩く旅人の中に、首に荷物を下げた犬の姿を探してみてください。
シロの物語は今、オカゲ屋敷に生きている
おかげ横丁に2026年7月3日に開館した体験型ミュージアム「オカゲ屋敷」には、「おかげ犬のお伊勢参り」という体験コンテンツがあります。
シロたちが旅した時代の「おかげさまの精神」を、映像・音・影を使ったインタラクティブな演出で体感できる場所です。
シロの物語を知ってから訪れると、体験の深さが変わります。
230年前に福島から歩いてきた白い犬のことを、伊勢の地で思い浮かべてみてください。
いなかのバッグから一言
シロの話で一番印象に残るのは、帳面の話です。
道中で食べ物をもらうたびに代金を記録して、しかもお金をごまかした人が一人もいなかった。230年前の話なのに、なんかじわっときます。
人の善意がリレーのようにつながって、一匹の犬を伊勢まで届けた。
そういう時代があったんだなと思うと、おかげ横丁の石畳がまた少し違って見えてくる気がします。
まとめ
シロの旅は、230年以上前の話です。でも犬塚は今も須賀川に残り、三重から会いに来る人がいる。
おかげ犬の物語を体感できるオカゲ屋敷が伊勢に生まれた。
時代を超えて「おかげさま」の気持ちがつながっている、そんな話だと思います。

